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毎日のお弁当作りが負担になっていた理由

共働きになってからも、なんとなく続けていたのが毎日のお弁当作りだった。節約になる、外食より体にやさしそう、きちんとしている感じがする。そんな理由で始めたものの、生活が忙しくなるにつれて、少しずつ負担が積み重なっていった。
一番大きかったのは時間の問題だった。朝は出勤準備だけでも慌ただしい。そこに弁当用のおかずを詰める作業が加わると、数十分とはいえ気持ちの余裕が一気になくなる。前日に下準備をしていても、「詰める」「バランスを考える」「入れ忘れがないか確認する」といった細かい工程が、毎日確実に発生する。
作業量よりも精神的な重さ
実際の作業時間以上に重かったのは、頭の中で常に弁当のことを考えている状態だった。冷蔵庫を開けるたびに「明日の分は足りるかな」と考え、買い物の時も「弁当向きかどうか」を基準に選ぶ。休日にまとめて作ろうとしても、他の予定と重なると気が進まなくなる。
さらに、「ちゃんと作らなきゃ」という意識が無意識にプレッシャーになっていた。品数が少ないと手抜きに感じたり、同じおかずが続くと気になったりする。誰かに責められるわけでもないのに、自分で自分のハードルを上げていた。
節約のはずが負担になっていた
お弁当を作る理由の一つは節約だったが、実際にはその効果を実感しづらくなっていた。食材を使い切るために無理な献立を考えたり、弁当用に細かく買い足したりすることで、買い物の回数や金額が増えることもあった。
疲れている日に無理して作ると、味や量に満足できず、結局おやつを買ってしまうこともある。そうなると、「何のために頑張っているんだろう」という気持ちが湧いてくる。節約のための行動が、気持ちの消耗につながっていた。
こうして振り返ると、問題はお弁当そのものではなく、「毎日きちんと作る」という前提だった。生活の変化に対してやり方を変えないまま続けていたことが、負担を大きくしていたのだと思う。その違和感に気づいたことが、次の選択につながっていった。
作り置きと冷凍を前提にした切り替え

毎日のお弁当作りが負担だと感じ始めた頃、「やめるか続けるか」の二択で考えていた。でも実際には、その中間の選択肢があった。それが、毎朝一から作るのをやめて、作り置きと冷凍を前提にするやり方だった。お弁当という形自体を手放すのではなく、手間のかかる部分だけを減らすイメージに近い。
まず変えたのは、調理のタイミングだった。平日の朝に何かを作るのをやめ、週末や余裕のある平日の夜にまとめておかずを作る。量は「少し多め」を意識するだけで、特別な準備はしない。夕飯のおかずを取り分けておく感覚に近く、無理に弁当専用メニューを考えることもなくなった。
冷凍ありきで考えると気持ちが楽になる
冷凍を前提にすると、完璧さへのこだわりが自然と薄れる。彩りや詰め方を意識するより、「温め直して食べられれば十分」と考えるようになった。小分けにして冷凍しておけば、朝は解凍して詰めるだけ。調理というより、組み立てに近い作業になる。
冷凍庫にいくつか選択肢があるだけで、精神的な余裕も生まれる。今日はこれ、明日はあれ、と選べることで「作らなきゃ」という追い込まれた感覚がなくなった。もし何も用意できていない日があっても、「また今度作ればいい」と受け止められるようになった。
手間を減らすことで続けやすくなった
作り置きと冷凍を前提にしたことで、家計や時間への向き合い方も変わった。以前は、弁当を作れなかった日を失敗のように感じていたが、今は一つの選択肢として受け止められる。忙しい日は無理をしない、その代わり余裕のある日に整える。そのリズムが、共働きの生活には合っていた。
この切り替えによって、「毎日続ける」ことより「続けられる形にする」ことの大切さに気づいた。完璧なお弁当を目指すより、負担なく回る仕組みを作る方が、結果的に長く続く。作り置きと冷凍は、そのための現実的な手段だった。
お弁当をやめたわけではない。ただ、作り方と向き合い方を変えただけで、日常の重さが確実に軽くなった。その感覚が、次の変化へとつながっていった。
持っていくだけの形に変えて見えた変化

作り置きと冷凍を前提にしたあと、さらに楽になったのが「持っていくだけ」に割り切ったことだった。詰め方や品数を考えるのをやめ、前日に用意したもの、冷凍庫から出したものをそのまま持っていく。お弁当箱にきれいに収めることより、昼に困らないことを優先する形に切り替えた。
最初は少し抵抗もあった。ご飯とおかずを分ける、保存容器のまま持つ、同じメニューが続く。以前の基準で見ると「簡素すぎる」と感じた部分もある。ただ、その違和感は数日で薄れていった。昼に食べる側としては、味や量が合っていれば十分で、見た目や形式はそれほど重要ではなかった。
朝の時間に余白が生まれた
一番大きな変化は、朝の時間の使い方だった。詰める作業がなくなり、冷蔵庫や冷凍庫から取り出してバッグに入れるだけ。数分で済むこの工程は、体感的には大きな差になる。バタバタしながら時計を見る回数が減り、出発前に一息つけるようになった。
その余白は、準備全体にも影響した。忘れ物が減り、身支度も落ち着いてできる。朝から慌てないだけで、その日の気分が安定する。お弁当の形を変えただけなのに、生活全体のリズムが整っていく感覚があった。
食事への考え方が現実的になった
持っていくだけの形にしたことで、食事に対する期待値も調整された。毎日変化があることや、手作り感を求めなくなった分、「ちゃんと食べられているか」という本質に目が向くようになった。冷凍したおかずと簡単な主食でも、昼を乗り切るには十分だと実感できた。
この切り替えは、罪悪感を減らす効果もあった。以前は、作れなかった日をマイナスに感じていたが、今は「今日はこの形でいい」と判断できる。選択肢の一つとして定着したことで、迷いが減り、気持ちが軽くなった。
持っていくだけに変えた結果、増えたのは時間だけではない。判断の回数が減り、気力の消耗も少なくなった。完璧なお弁当を目指さない代わりに、日常が滑らかに進む。その変化は小さく見えて、共働きの毎日を支える大きな土台になっている。
食事を簡単にしたことで整った平日の流れ

お弁当の形を簡単にしたことで、一日の流れそのものが変わった。変化は朝だけではなく、平日全体にじわじわと広がっていった。食事にかける手間を減らした結果、時間が増えたというより、使い方に一貫性が生まれた感覚に近い。
朝は準備が短くなり、出発前の余白ができた。これまで慌ただしさに押し流されていた時間が、気持ちを整えるために使えるようになった。コーヒーを飲みながら予定を確認したり、静かに身支度をしたりするだけで、仕事に向かう姿勢が落ち着く。小さな余裕が、平日のスタートを安定させてくれた。
夜の負担も軽くなった
意外だったのは、夜の過ごし方にも影響が出たことだ。翌日の弁当準備を前提にしなくなったことで、「今夜のうちに何か作らなければ」という焦りが消えた。疲れている日は無理をせず、簡単な食事で済ませても気にならない。結果として、休む時間をしっかり取れるようになった。
余裕のある日は、少し多めに作って冷凍する。その選択も義務ではなく、できる時にやればいいという位置づけだ。この柔らかいルールが、平日の波をなだらかにしてくれる。
判断が減ると生活が滑らかになる
食事を簡単にしたことで減ったのは、調理時間だけではない。「何を作るか」「どう詰めるか」「今日は頑張るべきか」といった判断の数が減った。判断が少ない分、気力を他のことに使える。仕事への集中や、家での会話にも余裕が生まれた。
共働きの生活では、毎日を完璧に整えることは難しい。だからこそ、最初から力を入れすぎない仕組みが必要だった。食事を簡単にするという選択は、手を抜くことではなく、続けるための調整だったと今は感じている。
平日の流れが整ったことで、「なんとか回している」感覚が薄れた。無理なく回っている、という実感がある。それは派手な変化ではないけれど、日々を安定させる確かな支えになっている。食事を簡単にしたことは、時間を増やす工夫であると同時に、暮らし全体を整える選択だった。

